蓮如上人のお言葉

著作  藤田 徹文

お念仏

 1998年(平成十年)に500回会をお迎えした、本願寺八代目蓮如上人のお言葉を、一つひとつ味合わせて頂こうと思います。

 現代では、お念仏と言いますと、口で「ナモアミダブツ」と称えることになっています。ところが、中国の善導大師さま(613〜681)の頃までは、そうではなかったのです。念仏とは、文字通り仏を念ずること、仏を憶うことだったのです。この仏を念ずるとか憶うと言うことは、心が乱れていては出来ないことです。ですから、見るもの、聞くものによって常に心乱されているものにとって、念仏することは大変難しいことでした。

 善導大師さまは、「常に心乱れるものでも、ナモアミダブを称えることは出来るでしょう」と、称えることを勧めて、「念ずることは称えることだ」と教えて下さいました。

 それで、現代ではお念仏と言えばナンマンダブツと称えることになったのです。ところが、この善導大師さまの「念ずることは称えること」という意味がよくわからないと言う人がいたのです。蓮如上人は「おもいうちにあれば、いろほかにあわはるる」という諺をひいて、そのことを教えて下さいました。

 心は乱れていても、「ナモアミダブツ」のお念仏が口から出るのは、やはりアミダ如来を憶う心が内にあるからですよ、と蓮如上人は教えて下さったのです。もっといいますと、アミダ如来のお心が私に届いているから、ナモアミダブツが口から出てくださるのです。

 ですから、自分の心をあれこれ詮索せずに「ナモアミダブツ」が口から出てくださることを喜ばせて頂くのです。






 お念仏  お聖教
 心を受け取る  読経
 学ぶ  懈怠とすくい
  すくいをよろこぶ  往生のたね
 回向  罪の沙汰
 同座  たしなみ
 心を責めよ  法味無尽
  かどをきけ  たしなむこころ
  わかる  世間話と法話
  聖人の御罰  若き時たしなめ
  わが身ひとつ  一度は一期
  本尊  わろき
  咀嚼せよ   無我
  問え   物を申せ
  籠を水につけよ  仏法のことはいそげ