ご法話を聞く人の中には、阿弥陀如来の「どんなことがあってもあなたを捨てない」という大きなお心を聞かないで、ただ、例話やたとえだけを聞き覚えている人があります。そして、あの先生のあの話は聞いたことがある、あの先生のあの話は知っていると、続けて聞こうとしない人さえいます。
例話にしてもたとえにしても、それらはすべて、阿弥陀如来の確かなお心をやすく受け止め、聞いてほしいとの思いでなされるものです。
ご法話は決して例話を聞いてもらうためのものでも、たとえを面白く聞いてもらうためのものでもありません。
その例話、そのたとえで、ぜひともここをと話されるのは、阿弥陀如来そのことをしっかりと聴聞していただかなければ、仏法聴聞がただ世間話を聞いたということになります。
九十歳まで生きて、「この歳まで聴聞まで聴聞まうしさふらへども、これまでと存知たることなし」といわれた法敬坊は、「讃嘆のとき、なにも、おなじようにきかで聴聞はかどをきけと、まうされさふらふ。詮あるところをきけとなり」といわれています。
すなわち、仏徳讃嘆のおはなし、ご法話を聞くときは、はじめから終わりまで同じように、のんべんだらりと聞き流すのでなく、ここだけは、このことだけはとお話くださる肝要なところを、しっかりと聞かせてもらいましょうと、法敬坊はいわれたのです。
これは、仏徳讃嘆、ご法話で一番聞いてほしいと話される阿弥陀如来のお心を、しっかり聞かせていただくことが大切です。と教えてくださったのです。