籠を水につけよ

 「お話を聞かせて頂いても、聞かせていただいたしりから忘れてしまいます。こんなことでは聞くかいがありません。もう聞くのをやめようかと思います。」という人がいます。

 私はこのような人に、いつも「あなたには三日前の昼のおかずを覚えておられますか」と尋ねるのです。そういうお尋ねをしますと、十人が十人、しばらく考えて後、「いや、思い出しません」といわれます。そこで、「忘れたら身につかないのなら大変ですね」というのです。

 覚えていないと身につかないということなら、大変なことです。頭で忘れても、身に必要なものはちゃんと身につくのです。

 教えも同じことです。だから「忘れることは気にせずに、一ぺんでも多くみ教えを聞かれることがたいせつですよ」と私はいいます。

 蓮如上人はどうご指導くださったのかといいますと、「我が心はただ籠に水を入候やうに、仏法の御座敷にてはありがたくもたふとくも存候が、やがてもとの心中になされ候と申され候」というお尋ねに対して、「そのかごを水につけよ、我がみをば法にひてておくべき」と答えられました。

 「私の心は竹で編んだザルのようなもので、聞いている時は『ありがたいお話、尊いご縁』とよろこばせていただきますが、やがて、水がザルの隙間から抜けるように、聞いた話がどこかに消えてしまいます」お尋ねに対して、「ザルのように隙間が多ければ多いほど、水につけておけば、水は内外ともにしたしてくれるよ」と答えられたのです。

 忘れることを問題にせず、一度でも多くのみ教えを聞くことを問題にしたいものです。