回向

回向と言うのは、仏教の大切な言葉ですが、他の宗派と浄土真宗ではその意味が全く違います。

 他の宗派では、亡くなった人にお経をあげることを回向というようです。

「ご先祖の回向を頂いた」「お墓の回向をしてもらいました」という言葉をよく聞きますが、これはお経を上げることによって、お経の功徳を生きているものが先祖なり、墓の下にいると思われている人に差し向けると言うことなのです。

 浄土真宗では蓮如上人が、「回向といふは、弥陀如来の衆生を御たすけをいふなり」と、お示し下さっている通りであります。

 蓮如上人のお言葉は、親鸞聖人の「回向は、本願の名号をもて、十方の衆生に与えたまふ御法なり」と言われたお心を明らかにして下さったものでっすが、そこには、決して私が亡き人に何かしてあげるという発想はありません。あくまで、阿弥陀如来が私たちを救わずには居れないと言うおはたらきを回向と言うのです。

 多くの「いのち」に生かされているのが、私の「いのち」です。ですから、「儂が、俺が」と小さな「我」に閉じこもるのでなく、みんなの「いのち」と共に生きようと言うのが本当です。

 この本当の「いのち」のあり方を忘れて、「儂が、アイツが」と、「我」を張って他の「いのち」と対立するところに、私たちの苦しみや悩みが生まれてくるのです。

 ですから、私たちが苦悩から抜け出す道は、小さな「我」のあり方に目覚め、そこから出る以外にないのです。

 回向とは、大きなあたたかいお心を私たちに与えて、私たちを小さな「我」の世界から出してくださる阿弥陀如来のおはたらきなのです。