たしなみ
阿弥陀如来のお救いには、私たちが何をしたら救ってやろう、どうなったら救ってやろうというような条件が全くありません。文字通り無条件の救いです。
このように何の条件もださず、「あなたをあなたのまますくう」と言ってくださる阿弥陀如来のお心が本当に受けとられたら、「大したことは出来ませんが、出来るだけのことはさせて頂きます」ということになるのが本当だと思います。
ところが、「そのまま救う」と言ってくださっるのを良いことに、「このままでいいのだ」と、胡座をかいている人が浄土真宗のご門徒の中には多いようです。そして、何もしなくても救ってくださるのが他力本願と、文字通りズルズルと懈怠の日々を送っています。こんな姿を他の教えに生きる人が見れば、「何もしないのが他力本願」となって、他力本願の誤解を増長することになっています。
蓮如上人のお育てを頂いた越中五箇山の赤尾に住んでいた道宗という方は、「一日たしなみには、朝つとめにかかさじとたしなむべし、一月のたしなみには、ちかきところ御開山様の御座候ところへ参べしとたしなめ。一年のたしなみには、御本寺へ参べしと嗜べし」と、自らにいい聞かされておられました。
「そのまま救う」という阿弥陀如来の深く大きなお心に遇わせて頂いたよろこびの上からは、朝夕のお勤めをさせて頂こう。年に一度は親鸞聖人のまします本願寺に参らせて頂こうと、道宗さんは自ら言い聞かせて、一日を、一月を、一年をすごしておられたのです。