世間話と法話

 誉めるということほど、私たちにとってむつかしいことはありません。

それに対して、くさすことのなんとたやすいことでしょう。どのような場でもほめる言葉は十分と続きませんが、くさす言葉なら一時間でも二時間でも続きます。

 ですから、誉める言葉で始まった話でも、気がつくと、くさす言葉の連発になっていることがあります。

 あの時のあの人はすばらしかったという話が、「それはそうだけれども」という言葉が入ると同時に、「あの人のあの態度はいかん」、「あの時のあの行動はいただけない」と、悪口に変わってしまいます。

 法話は仏徳賛嘆です。阿弥陀如来の私たちを案じてくださるあたたかいお心を、よろこびほめたたえるのが法話です。

 世間話は、人のうわさ話が中心です。それも人を誉める話でなく、人をくさす話が世間話の中心です。ですから、誉めるよりくさすのが上手な私たちは、法話であっても、すぐに世間話に変えてしまいます。

 蓮如上人のころも、そういうことが多かったようです。「仏法のことをいふに、世間のことにとりなす人のみなり」という蓮如上人のお言葉が残されています。私たちは、仏法の話が世間話になると、嫌気がさして投げ出してしまいますが、蓮如上人は「それを退屈せずして、また仏法のことにとりなせ」とお示しくださいました。

 世間話になったからと投げ出せば、話はいつも世間話で終わってしまいます。それを、もう一度、仏徳讃嘆の話に引き戻すように仕向けるのが、み教えに遇ったものの責務だと思います。