心を責めよ

阿弥陀如来の救いは「そのままのすくい」といわれます。私たちに何か条件を出して、この条件を満たしたら救ってやろうと言うような救いでありません。

 「あなたはあなたのままでいいから力いっぱい生きなさい、どんなことがあっても私はあなたを捨てません」と、私の「いのち」の全体をつつみ、支えてくださる阿弥陀如来のあたたかいお心にあって、小さな「我」の殻にこもっている私たちが、その小さな「我」から解放されることが、阿弥陀如来の救いなのです。

 ですから、私が何をどうしたとか、私がどう思ったということは救いに関係ないことです。阿弥陀如来のあたたかいお心が、小さな「我」の殻に閉じこもって冷えきっている私の「いのち」を、解きほぐしてくださるのが救いなのです。

 このように、救いは阿弥陀如来の一方的なおはたらきで実現するのです。それを「そのまま救い」というのです。 

 ところが、これを受け取り違いをして、「このまま」と、横着な人間が、自分の横着に合わせて受け取りますと、横着がますます横着になり、勝手気ままな生き方になります。

 蓮如上人は「我が心にまかせずにして、心を責めよ。仏法は、心の詰まる物かとおもへば信心に御なぐさみ候」といわれました。

 「横着な心にまかせず、心をひきしめ、たしなみなさい」といわれたのです。そして、「そういうと仏法とは堅苦しいものだと思うかも知れませんが、阿弥陀如来のあたたかい心にふれて、常に慰められるので、本当は堅苦しいものではないのですよ」と教えて下さいました。