法味無尽
すこし勉強すると、何もかもわかったような気になるものです。ですから、あまり勉強しない人に限って、もう勉強することがないようなことを言うのです。
勉強すればするほど、勉強しなければならないことが増えてくると言う人がいますが、此方のほうが本当だと思います。
本でも読み出すと、あの本も読まなければ、この本も一度目を通しておかなければと言うことになります。仏法聴聞においても同じことが言えるのではないかと思います。
ちょっと、かじり聞きした人に限って、仏法がわかったようなことを言います。非道い場合、二度・三度聴聞しただけで、仏法の全てが解かったように言う人さえいます。
仏法はそんなに底の浅いものではありません。聞いても聞いても奥がありあきることのないものです。
もう聞いて知っていますと言うのは、あまり聞いていない証拠です。聞けば聞くほど阿弥陀如来のお心の深さ大きさが、途方もないもので、まだまだお聞かせにあずからねばとなるのが仏法聴聞です。
蓮如上人と同じ時代を生きられた法敬坊という人は九十歳まで生きられましたが「この歳まで聴聞まうしさふらえども、これまでと存知たることなし。あきたりもなき事なり」といわれたそうです。
私は、法敬坊の素晴らしさを思うと共に、仏法のと言いますか、阿弥陀如来のお心の深く大きいことを改めて思わせて頂きます。
九十歳にして、まだまだ阿弥陀如来のお心を聞いていかれた大先輩を持ったことが、私は何よりもうれしいのです。