我が身ひとつ

私たち、誰のことが気になると言っても、わが妻、わが子ほど気になるものはありまあせん。私たちは他の誰よりも、わが妻の幸せ、わが子の成長を願って生きています。

 ところが、私たちはこの願いを実現するために、案外的はずれなことをしているのではないでしょうか。お金を与え、物を提供さえしておれば、妻の幸せが実現し、子の成長が順調にすすむと思っているならば、それは的外れです。

 確かにお金も物も大切ですが、それより大切なものは、世の中がどう変ろうが、この身の上に何が起ころうが、ビクともしない確かな「いのち」のよりどころです。

 この、どのようなことがあっても間違うことのない「いのち」のよりどころを教え、すすめることこそが、本当の幸せ、本当の成長を願う行為なのです。

 ところが、いくらそう思っても、自分の力だけではどうにもならないこともあります。いや、そういっている自分はどうなっているかと自らを振り返るとき、自分は、本当に確かなよりどころを、聞き開いているのかということになります。

 蓮如上人は「わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化せぬは、あさましきことなり。宿善なくばちからなし。わが身ひとつ。それを勧化せぬものがあるべきか」といわれています。

 「本当に妻子を思うならば、妻子にみ教えを勧めるべきです。それをしないほど悲しいことはありません」といわれ、「そのためにも、まず自分自身が、み教えに遇わせてもらうことが何より大切です」と教えてくださったのです。