仏法のことはいぞげ

 世の中が便利になればなるほど、人間は忙しくなるようです。

理屈からいうと、世の中が便利になった分だけ、人間がゆっくりできるというのが本当でしょうに、現実は、便利になった分だけ忙しくなるようです。

 人間が便利を使うのではなく、便利に使われているようです。それで、「これもしておかねば、あれもやっておかねば」と、便利さに追いかけられて、忙しい忙しいと、右往左往しているのが、私たちの毎日です。

 そんな私たちに、本当に急がなければならないのは、仏法聴聞であると、蓮如上人は教えて下さいました。

 多くの「いのち」に生かされて生きているのが「いのち」でありながら、自らの利益の追求にあけくれて、大切な「いのち」を空しく過ごす、それも、「いのち」を生かしてくださる「いのち」を踏み台にして、自らの幸せを求めているのです。

 何とおそろしいことでしょうか。そのような努力はどれほどつづけても本当の幸せには到りません。

 わが「いのち」を生かさしてくださる多くの「いのち」を幸せを願うことなしに、わが「いのち」の幸せはありません、と教えてくださるのが、仏法です。

 ですから、本当の幸せを求めるならば、自分のやっていることのおそろしさに気付かせていただき、仏法を急ぎ求めることです。

 蓮如上人は、そのことを「仏法のうえには毎事につけて、空おそろしき事と存候べく候」といわれ、さらにつづいて「仏法には明日と申すことあるまじく候う。仏法の事はいそげと仰せられ候なり」とご注意くださいました。