一度は一期

私たちは、他の人のあやまちをなかなか許しませんが、自分のことになると「一度や二度のあやまちは人間だれでもするもんだ」と、いつも簡単に許します。

 他の人が何か失敗したときに、「一度や二度」というのはわかるのですが、自分のあやまちを「一度や二度」といとも簡単に許すのは、どうもいただけません。

 蓮如上人は「一度のちがひが、一期のちがいなり。一度のたしなみが、一期のなしなみなり。そのゆへは、そのままいのちをはれば一期のちがひになるによりてなり」と、厳しくご注意くださいました。

 どういうことかと申しますと、「一度のあやまちが一生のあやまちになることがあります。反対に、一度こころがけたたしなみが、一生のこころがけとなり、たしなみとなるものです。どうしてそういうことがいえるかといいますと、一度あやまちをおかしたまま寿命が尽きれば、そのあやまちをやり直すこともできず、取り消すこともできませんから、一生のあやまちになるのです」と教えて下さったのです。

 このお言葉は他の人に向けてのお言葉ではありません。あくまで私にご注意くださったお言葉なのです。

 他の人のやっていることは厳しく指摘する私たちが、自分のことになると、はじめにも申しましたように、「一度や二度のあやまちは誰でもある」というような生き方をしています。

 自分の一度のあやまりが、他の「いのち」をどれほど傷つけ、損うかということに心をし、気をつけていないと、取り返しのつかないあやまちをおかすことになります。そのことを、蓮如上人は厳しくご注意くださったのです。