前門さまを偲んで
私がはじめて、前門さまにお会いしたのは十八才の春のことでした。龍谷大学に入学の決まった年が、親鸞聖人の七百回大遠忌の年であり、訳のわからいままに、法要のお手伝いをさせていただきました。誘導部に配属された私は、列車で京都駅、バスで五条通りに着かれる多くのお同行を、本願寺前の堀川通りまで誘導し、さらに御影堂の参拝者入口まで案内しました。
法要の間、かけ出しの下で堂内の法要の様子をうかがいながら待ちました。勤行が終わり前門さまのご親教がはじまります。ご親教の内容はあまり記憶にありませんが、終わりに近い頃の、前門さまの言葉が今も、耳の底に鮮明に残っています。そのお言葉は「いよいよ」という四文字です。そのあと「阿弥陀さまのご恩の重きことをよろこばせていただこう」といわれたのか、「親鸞聖人のご苦労を味わわせていただこう」といわれたのか、記憶は定かではありませんが、どちらかを淳々とお話いただいたことを昨日のことのようになつかしく思い出します。もう四十年以上も前のことですが、そのやさしく重々しい前門さまのお声は、私の耳の底に鮮明に残っています。
前門さまは親鸞聖人の七百回大遠忌のおりのご消息で、「名ばかりの門徒、形だけの僧侶、慣習のみでつながっている寺檀関係」というお言葉で、宗門のあり方を厳しくご指摘いただきました。そのご指摘を受けて、宗門はこのままではいけない、今一度、信心に立った宗門にならなくてはということで始まった運動が門信徒会運動であります。
後に私ははからずも、門信徒会運動本部事務室長を拝命し、さらに、阿弥陀如来の平等のすくいをよろこぶものが差別を許し、いや差別を増長するようなことがあってはいけないという同朋運動の本部事務室長を命じられました。
この二大運動の事務責任者として、私はこの二つの運動が一つになった時、はじめて真の宗教運動になるのではないかと思いました。信心の運動と差別解消の運動はみ教えをよろこぶ私たちの身の上で一つになってはじめて、私たち真宗者の運動になるのだと思いました。そこに前門さまの、名ばかりの門徒、形だけの僧侶とご指摘くださったお心があるのではと思ったのです。
信心、信心と言いながら、差別を是認しているならば、文字通り、名ばかりの門徒であり、形だけの僧侶です。親鸞聖人がお示しくださった信心は、阿弥陀如来の間違いのない真実に照らされ、すくわれていくことをよろこばせていただくことであります。
さらに言いますと、阿弥陀如来の真実に照らされた、わが身のお粗末さ、至らなさを知らされながら、そのお粗末な、至らない身がすでに阿弥陀如来のおすくいのみ手の中にあることをよろこばせていただくものです。
おすくいのみ手の中にある身であるから、自らの身のお粗末さ、愚かさは、このままでいいと居直るのではなく、わが身のお粗末さ、愚かさを知らされれば知らされるほど、このままではいけないという思いが強くわいてきます。それが「身をいとう」、「世をいとう」という思いです。
信心は、私の胸底に、「身をいとう」、「世をいとう」という思いとなってわきあがってきます。私たちは、どうしても、「私もこれでよくやっている方だ」「私も人並みの人生を生きている、いや、人よりはましな人生を生きている」と自己肯定して、そこに腰をすえてしまいます。極端な場合は「差別するのが凡夫」とまでいいきって居直ってしまいます。
「いとう」という言葉には、二つの意味があります。一つは嫌いと言う意味です。二つには大切にすると言う意味です。全く真反対のような意味ですが、決してそうではありません。嫌いという思いが二つの行動に分かれます。一つには、嫌いだから、そこから逃げるという行動です。二つには嫌いだからすこしは嫌いでない状態に改めていこうという行動です。浄土教の流れに二つあります。一つは厭離穢土欣求浄土という考えです。
この世は嫌な世界だから、一時も早く、素晴らしいお浄土に逃げだしていこうという考え方です。親鸞聖人はそうではありません。欣求浄土、厭離穢土という道です。真実なる浄土を求めるということは、この世を少しでも真実に近づけていこう、改めていこうというお考えです。
それは、実際にはむつかしいことかもしれませんが、どうしても、人間はこんなもの、この世はこんなものとわかったことにして胡座をかいたり、自己肯定できないのが真実にあったもののあり方です。
差別があるのが人間世界と居直るのでなく、これをなんとかしなければというところに信心の人の姿があるのです。
名ばかりの門徒、形だけの僧侶で終わってはいけないと前門さまは厳しく指摘してくださったのです。前門さまの三回忌にあたり改めてそのことを強く思うのです。