平成16年12月13日
生家の前には源左さんがおられた当時の柿の木が、その横に顕彰碑が建つ。かつて柿がよくとられるため、
源左の子・竹蔵が茨をくくりつけたが、源左さんは危ないので梯子をかけた。竹蔵が「そんなことしたらなんぼ
でもとられる」と。源左さんは「人がとってもやっぱりうちの者が余計食うわいや」と言った話が残る。
青谷町の和紙の展示館と
紙漉きが体験できる和紙工房
ようこそ ようこそ
源左さんは父と早くに別れただけでなく、5人の子どもにも先立たれた。が「爺さん、仏のお慈悲に不足は
起こりませんかいのう」と尋ねると源左さんは「ありがとうござんす。如来さんからのご催促でござんすわいなあ。
ようこそ、ようこそ。なんまんだぶつ」と答えたという
「源左さんはいつもありがたい気持ちを表すとき、ようこそようこそ、とこぼれるようにいっておられたようです。」
衣笠告他願正寺住職 は語る。(大乗5月号より)
願正寺の正門
源左さんが聴聞を重ねた願正寺
源左さん、門信徒のお墓
妙好人 源左同行の碑
法話される光徳寺住職
願正寺住職衣笠師「本願寺聖人親鸞伝絵」
を拝読される
近くの温泉 鹿野温泉
柿の木
妙好人生家の顕彰碑
源左さん
念珠を持つ大きな手は労働と聴聞の人生そのものを
表す「親からもろうた手は、つよいんんだのう。
いっかな、さいかけせえでもええけのう」と。
願正寺 庫裏玄関の「ようこそようこそ」
願正寺のすぐ近くの源左さんの生家
願正寺本堂に安置されている
源左さんの木造