指導の役割をになうものは、どのようなことに注意し、いかなることを心得なければならないのであろうか。いろいろの立場から考えられるが、ここでは、菩薩の修行道として説かれた六波羅蜜によって考えてみたい。

1、            布施

 施とは施与であり、自分のもっているものを与えるということである。

 普通布施には、財施(財物などの経済的施与)・法施(教えを説き示すこと)・無畏施(恐怖や不安におびえる人に安堵の心をおこさせること)の三種類であるが、このほかに身施ということもある。

 身施とは、自分の身をおしまない行動である。

 指導者にとって、まず心得なければならないことは、この「身施」ということである。

2、            持戒

 戒律(規律)は、会員がお互いに気持ちよく会を運営するためにつくられたものであるから、指導者こそ率先して規律を守らなければならない。常にもっともらしい理屈をつけ規律を無視する指導者のいる会は持続するはずがない。

3、            忍辱

  なげやりな態度をとる指導者が会をだめにする。指導者として最も大切なことは、いかなる時にも根気負けしないことである。法蔵菩薩は、私たちの幸せを願って、「たとい身を、諸の苦毒の中に止くことも、我が行は精進にして 忍びて終に悔いざらん。」と決意されました。

4、            精進

  精進とは続けることである。会にも栄枯盛衰はある。たとえ一人になっても続けていく、いかなる場合も最善の努力をしていく、それが精進である。精進は真の勇者の道である。

5、            禅定

  禅は静慮ということである。いかなる場合でも自己を見失うことのない静かな思慮が指導者にはほしい。指導の立場にあるものが自己を見失うようでは、会員はだれをたよりにすればいいのであろうか。

6、            智慧

  指導者にとって智慧とは、会員一人一人をよく知るということである。どうしたら会員をしることができるか、それは会員の言葉をよく聞くことである。聞は智慧である。

  また、会員を知るためには、会員を信頼することである。信頼なしに相手を見るとき、そこには誤解しか生じない。信は智慧である。

 以上、指導者の心得という観点から六波羅蜜を見てきたのであるが、「言うは易し、行なうは難し」で、いずれも容易でない事がらばかりであるが、指導者の心得としては大切なものであるので心に留めておいてほしい。

 なにはともあれ、仏教を学ぶものの行動は聞法から出てくることに注目しておきたい。それは「聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる」といわれた親鸞聖人のお言葉によってあきらかである。すなわち、「聞く・獲る」ことを源泉として、「慶び・嘆ずる」以外に私たち仏教を学ぶものの行動はないのである。

    














リーダーの心得