41.「ダーナ」の本当の意味

  私は若婦人会の会長をしています。
 毎年二月のダーナの日には募金などをしますが、「ダーナ」の本当の意味をわかりやすく教えて下さい。

「ダーナ」とは、インドの言葉で、「与える」という意味です。檀那とか、旦那と音写されますが、その意味をとって「布施」と漢訳されています。

 「ダーナ」は、「与える」ということですが、それは本来、他の人に何かを与えるということに意味があるのではなく、自らが所有するものを他の人に与えることによって、自分の所有するものに対する執着心を取り除こうとする、大切な仏道修行の一つなのです。

 仏教では、私たちの迷いを深める大きな要因の一つに、貧欲(むさぼり)の心をあげています。「欲に目がくらむ」という言葉もありますが、確かにその通りだと思います。

 人生が順調にいかないと、周りの人に当たり散らす私たちですが、少し、人生が順調にいきだすと、まだまだ、まだまだと、欲望をつのらせ、周りの人の気持ちや状況が見えなくなります。

 いや、周りの人の気持ちや状況だけでなく、自分自身すらも見えなくなり、自分の進んでいかなければならない人生の方向すらもわからなくなります。そこに、もとめてやまない貧欲(むさぼり)の心の恐ろしさがあります。自らと自らの人生を見失わせるこの恐ろしい貧欲の心を退治するのが、「布施」の行、すなわち「ダーナ」の実践なのです。

 他の人に、自らの所有するものを「与えること」によって、自らの貧欲の心に打ち勝ち、平静に自らを見つめる心をとりもどし、自らの人生を見きわめる目をとりもどそうとするのが、「ダーナ」ということなんです。

 ですから「ダーナ」を実践するとき、「誰が」、「誰に」、「何を」という執われがあれば、それは「ダーナ」とはいえません。「ダーナを実践する人」が、与えたことに執われ、あの人に、あれを与えてやったのにと、いつまでも、「与えた人」や「与えたもの」にこだわっているようでは、「ダーナ」本来の自らの執着心を取り除く実践にはなりません。「誰が」、「誰に」、「何を」ということに執われないことを、三輪空体といい、「ダーナ」を実践する上で一番大切なことです。

 このような「ダーナ」の精神を実践しようということで、昭和四十年五月、ニューヨークで開催された第二回世界仏教婦人大会で、毎年二月の第二日曜日を、「ダーナの日」とすることが定められました。

 「ダーナ」には、財施・法施・無畏施のほか無財の七施などがあります。募金をして施設等に贈られるみなさんの実践はまさしく財施です。『仏教婦人会ハンドブック』(本願寺出版社発行)に、財施・法施・無畏施・無財の七施と、その実践活動について詳しく書かれていますので、参考にして募金以外の活動についても、できるところから実践していただけたらと思います。