最近、「本願寺新報」等の新聞紙上で、「ビハーラ」という言葉をよく見ますが、どういうことでしょうか。
「ビハーラ」という言葉に耳慣れない方でも、「ホスピス」という言葉はご存知だろうと思います。「ホスピス」について『現代用語の基礎知識』に、
安楽死、自然死問題とも関連し、死期の遠くない患者を入院させ、延命医術を用いず、病苦をやわらげ、起床、面会も自由にし、慰安の工夫をこらした施設。イギリスやアメリカにも既にこの専門病院が設けられているが、日本でも神戸市、愛知・静岡県内でスタートした。語源的には(修道院などの)旅人用宿泊所から発している。
と解説されています。
『宗教情報』の3には「ホスピス」精神を生かす医療施設が紹介されています。日本で始めてのホスピス活動に取り組んだ静岡の三方原聖隷病院ホスピス病棟は、キリスト教(プロテスタント系)の理念のもとに運営され、介護と医療の共存を計る日本型のホスピスです。
大阪の淀川キリスト教病院では、死を迎えるまでの生を充実させるための生命の質を重視した介護が行われています。このほかに三、四の病院が紹介されていますが、その多くは、キリスト教の理念にもとづいてホスピス活動がされています。
現当二世(この世と浄土)のすくいを説く私たちの教団では、今までややもすると、この現当二世のすくいが、話しだけで終ってきました。仏教は、本来、生死一如(生と死は別ものでなく一つ)に立った教えであるのに、本当の意味で、私たちは生死にかかわってきたでしょうか。葬式仏教の言葉もありますように、死のみにかかわり、生に、それも、死にゆく生にあまりかかわる面がすくなくなったようです。もっといいますと、釈尊が「人生は苦」といいきられた「苦」は、生・老・病・死でした。
以上のような仏教・真宗のあり方を考えれば考えるほど、「ホスピス活動」は、私たち仏教徒、念仏者が実践しなければならないことがあることがあきらかになります。そのことにおくればせながら気づき(早くから気づいた人も多いのですが)教団としても取り組みをはじめました。
「ホスピス」という言葉は、キリスト教的な意味が強く、また施設をあらわす言葉ですから、「ビハーラ」という言葉で、仏教の理念に立って、より広く老・病・死の人生にかかわっていく活動をすることになりました。
「ビハーラ」とは、インドの言葉(サンスクリット)で、休息の場所・僧院または寺院などという意味ですが、「安住」と漢訳され、「存立する」・「身も心も安じる」などの意味もある言葉なのです。
現在「ビハーラ活動」として考えられているおもなものは、
一、病院・施設の患者及びその家族・知人などへの精神的な介護にあたる。
二、医療・福祉活動に従事する人々と共に生命のあり方を考える。
三、一般公開講座を開催し、広く多くの人々と生命の尊厳について考える。
四、資料(テキスト)の刊行をし、活動内容、ビハーラ活動の心得などについて紹介する。
などです。が、何をするにもやはり人間の問題です。それで教団では教育局研修担当の方が中心になってくださる人の養成に力を入れています。
教団としては、このような取り組みをしていますが。
仏教婦人会としても、この「ビハーラ活動」の趣旨にそって、身近なところから取り組んでいただきたいのです。そのために二、三具体例を上げますと
一、
地域の独居老人を仏教会員が定期的に訪ね、法話テープをいっしょに
聞く。
二、
お寺に招待してお話を聞いたり、食事をしたり、共に話し合う場を持つ。
三、
常に、近くの高齢者の人に声をかけるよう心がける。
などが考えられます。仏教婦人会の例会等で話し合い、仏婦会員のみなさんがやれるところから取り組んで下さると、「ビハーラ活動」も、より幅広いものになります。