36.念仏の声を世界に、子や孫に

 「念仏の声を世界に、子や孫に」というスローガンを、どのように実践すればよいのでしょうか、特に孫にどう伝えればいいのでしょうか。

 まず、自らがしっかりとみ教えを聞くことです。ことさらいわなくてもいいことかもしれませんが、これが一番大切なことなのです。

あるところで、私は、仏教婦人会の会員のかたですから、

 私の家は代々浄土真宗です。それなのに、息子の嫁がクリスチャンで、お仏壇の世話をしてくれますが、毎日曜日、キリスト教の教会に行き、お寺には一度も参ってくれません。どうしたら、嫁がキリスト教をやめて、浄土真宗になってくれるでしょうか。そのために私は何をしたらいいでしょうか、教えて下さい。

という相談を受けたことがあります。そこで、私は少し厳しいかなとは思いましたが、

 あなたの家は、代々浄土真宗だそうですが、あなたご自身は、浄土真宗のみ教えをどのように聞いておられますか、また、お仏壇があなたの生活の中でどのような位置にありますか。また、お寺に参るということをどのように考えておられますか。

と尋ねました。すると、そのご婦人は、

 難しいことはわかりません。「門徒もの知らず」といって、何も知らなくてもすくってくださるありがたい教えが、浄土真宗だと聞かされ、よろこんでおります。また、ご先祖あっての私たちだから、お仏壇は大切にしなければならないと思います。また、お寺に参ってお話を聞いているときだけでも、つまらないことを考えないで、お寺参りはいいことだと思います。

とのことでした。私は

「門徒もの知らず」の本当の意味は、「門徒もの忌み知らず」ということで、日の良し悪し、方角等をいわないことですよ。ご存知でしたか。また、お仏壇は私たちのご本尊である阿弥陀如来をご安置させていただくもので、ご先祖を祀るためのものではありませんよ。また、お寺に参って聴聞するとは、自らの生きる道をあきらかにしていただくことなのですよ。

とお話させていただきますと、「そんな話は、はじめて聞きました」といわれました。そこで、私は、そのご婦人に、

 

 お嫁さんを浄土真宗にという前に、あなた自身が、浄土真宗の門徒になる方が先ですね。家は浄土真宗で、仏教婦人会の会員だから、即あなたが浄土真宗ということにはなりませんよ。まず、あなたがしなければならないことは、あなた自身がしっかりみ教えを聞いて、浄土真宗の門徒になることです。あなたが本当にみ教えに遇い、み教えをよろこばれたら、お嫁さんも浄土真宗の素晴らしさに気付いてくださるでしょう。まず、そこからはじめてください。

と申しました。

 蓮如上人に

 聖教をすきこしらへ持ちたる人の子孫には仏法者いで来るものなり、一度仏法を嗜み候ふ人はおほやうなれども驚き易きなり

                      (『蓮如上人御一代記聞書』)

のお言葉があります。このお言葉を、梅原真隆先生は、

 聖教をすきこのみ求めて所有していた人の子孫には、仏法を信ずる者がでるものである。一度でも仏法にこころがけた人は、忘れるともなく忘れがちになっておっても、何かの機会にふれると、驚いて仏法にこころをよせやすいものである。 

と意訳してくださっています。

 「念仏の声を世界に子や孫に」の実践は、まず私がみ教えを聞き、み教えを大切にする生き方からはじまるのです。私たちはややもすると、このことをすでに済んだことにして、次にといくから、「私がこんなに思っているのに、嫁は、孫は」と、愚痴をこぼすはめになるのです。

 また、み教えを伝えるということになりますと、すぐに「上手に話さなければ」、「上手に教えてやらなければ」ということになりがちですが、伝えるとは、話を聞かせることでもなければ、教えることでもないのです。親鸞聖人のお言葉をおかりしますと、「聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる」(顕浄土真宗教行証文類)ことなのです。

 『蓮如上人御一代記聞書』に、「自信教人信」の意味をわかりやすく、

 

 聖教よみの仏法を申したる事はなく候、尼入道のたぐひの『たふとやありがたや』と申され候ふを聞きては人が信をとる」と、前々往上人(蓮如上人)仰せられ候ふ由に候、何もしられねども、仏の加備力の故に、尼入道などの喜ばる、を聞きては、人も信をとるなり、聖教をよめども名聞が先にたちて、心には法なき故に人の信用なきなり

 と教えて下さっています。

 ありきたりのお答えになりますが、「念仏の声を世界に子や孫に」の実践も、「孫に伝えたい」の思いも、まず、自らが法に遇い、法を大切に生きることからはじめてください。

 法を大切にすることは、言葉だけの問題でなく生き方の問題なのです。気持ちが先に走って、何とか早くわからせてやろうの思いから、ついつい法の押し付けになります。私自身にもよくあるのですが、慎みたいことです。