34.持病に苦しむ子に

  私は持病に苦しんでいる学生です。それは、気になることがあると、そのことばかりにとらわれ、心の中がいっぱいになり、やがては発作を起こします。その発作を起こしている間は、自分でも何をしているのか解かりません。もちろん医師から適切な治療を受けていますが、同時に心の解放もはかりたいと思います。どうすれば、ゆっくりとした気持ちになれるでしょうか。

「気になることがあると、そのことばかりにとらわれ、心の中が一杯になる」のは、あなただけではありません。みんながそうなんです。多くの人は、そんな時に、気になることをトコトン考えずに、上手に他の方に心をむけてり、うやむやにしてしまうのでしょう。

 私は、あなたのおたずねを読みながら、非常に真面目な人に違いないと思いました。それで、一つのことをトコトン考え、いいかげんなところでうやむやにできないのでしょう。そのことは、非常にいいことなのです。しかし、発作を起こすほど考えられるようでは、身体が心配ですね。

 私も、あなたと同じように「気になることがあると、そのことばかりにとらわれ、心の中が一杯になる」方なのです。そんな時、私はどうしているのかをお話ししますので、参考にしていただけたらと思います。 

 私が気になることは、大きく分けると四つです。 

 一つは、何かしようとしたときに、どうしても他人の目といいますか、他人の評価が気になるのです。

 これをやれば、周りの人はどう思うだろうか、つまらない男だと思われるのではないか、というようにです。こんなことが気になって、どうしようもない時、私はお念仏するのです。

 親鸞さまは、お念仏は「阿弥陀如来が私を案じてかけてくださるお声だ」と教えて下さいました。

 他人の目や評価が気になり、そのことにとらわれ、人生がストップした時、私はお念仏するのです。そのお念仏が、「誰が、どんな目で見ようが、誰が、どんな評価をしようが、私はわかっていますよ。元気を出して、やれることだけでいいから精一杯やりぬいてごらん」と、あたたかく喚びかけてくださる如来さまのお声となって、わが身にとどいてくるのです。如来さまの声がとどいてきたとき、とらわれを超える事ができるのです。

 

 二つ目は、お念仏を申すようになってからあまり気にならなくなりましたが、日のよしあし、占い、手相等であります。周りを見ますと、どうしてあんなに日のよしあしにこだわるのだろう、どうしてあんなに占いをきにするのだろうと思う人があります。私もお念仏に遇うまえには、すこしですが、そんなことを気にしました。「日がよかろうがわるかろうが、占いがどうであろうが、私はあなたを護っています。力いっぱい生きなさい」という阿弥陀如来の声にであって、はじめてそのようなことを気にしないで生きられるようになりました。

 

 三つ目は、何かあると過去のあやまちやら失敗を思い出し、そのことにとらわれることです。

 

 四つには、将来のことを考えると、不安になって滅入ってしまうことがあります。

 私は、そんな時にもお念仏するのです。「いつも私がいっしょなのですから、一人そんなにクヨクヨせずに、今やれることだけでいいから、力いっぱいやりぬいて生きてごらん」という阿弥陀如来の声が聞こえてくるとき、私は、過去や将来のとらわれから解放されるのです。

 私は、このように、気になることがあり、そのことばかりにとらわれて、元気がなくなるとき、いつもお念仏を申すのです。自ら称えるお念仏の声を、如来様の私を案じてくださる声なのです。その声に、なぐさめられ、はげまされ、とらわれから解放されるのです。おたずねにあるような「ゆっくりした気持ちに」とはいかなくとも、いつまでもクヨクヨ悩むことはなくなりました。 

 お答えになったかどうかわかりませんが、気になることがあって、そのことにとらわれときには、ぜひ、小さな声でいいですから、お念仏してみて下さい。

あなたの心に、何らかの変化が起こると思います。