30.車の「御守り」とは
私は仏教婦人会の会員でありますが、知人の車につけてある「御守り」について疑問をもちながら、はずすようにすすめることができません。
「御守り」とは何か、どうしたら知人に「御守り」をはずしてもらえるかを教えて下さい。
「御守り」は、神聖視される物質には、神秘的な力(霊力)があり、悪霊やいろいろな災厄をはらうという信仰からはじまったものです。
「御守り」の原始的なものには、霊験あらたかな神社の石や砂を、旅にでるとき懐中に入れて行くようなものもありますが、その多くは、紙・木・金属・貝などを材料として、神体の図柄や、経典の言葉や、神仏の名前などが書かれ、これを持っておれば、その霊によって、いかなる悪霊・災厄も追放できると信じられています。
すべてのものは、因(直接原因)と縁(間接条件)によるという縁起の通理にたつ仏教には、ある物質には霊力があって、悪霊(仏教ではいいません)や、災厄を除くなどという、ものの見方や受け取り方はありません。
車に「御守り」をつけるだけで事故が起こらないのなら、ほとんどの車が「御守り」をつけている日本には、交通事故など一件もないはずですが、現実には、交通事故のない日は一日もありません。
こんな現実を知らない人は、今の日本に一人もいないと思います。それなのに「御守り」に頼らずにおれないのは何故でしょうか?
そこに、確かなよりどころを持たない弱い人間の姿があります。
いつでも、どこでも、常に私たちを見守ってくださる阿弥陀如来をよりどころに精一杯、やるべきことをやり抜いて生きる、これが、み教えに遇ったものの生き方です。
仕事をしている時も、車に乗っている時も、くつろいでいる時も、寝ている時も、阿弥陀如来は、一時も休むことなく私たちを案じてくださるのです。ですから、仕事がうまくいくように、○○の神様。車に乗るときは、○○神社の「御守り」。家内安全には○○明神。息災延命のためには○○さまの「お札」というようなことは、私たちには用のないことなのです。
確かな確かな阿弥陀如来が、一時も休むこともなく、私たちを見護っていてくださることが、聞法を通して明らかになれば、車に「御守り」をというようなことにはならないでしょう。ですから、車に「御守り」をつけている人に、ただ、「車に御守りなどいらない」というだけでは、なかなかわかってもらえないでしょう。
一時も私たちのことを忘れることなく見護ってくださる確かな阿弥陀如来のいてくださることを、しっかり聞いてもらうことが何より大切です。