28.水子のたたりがこわい

 仏教婦人会の会員です。子供を流産したことがあり、ある人から水子のたたりがあるから供養した方がいいのではと言われました。私は、たたりなど信じませんが、やはり不安を感じます。どうしたらいいでしょうか。

 まず「水子」・「たたり」・「供養」という言葉の意味を明らかにすることから、問題を考えてみたいと思います。

 「水子」とは、本来、@出産後あまり日を経たない子。あかご。A胎児(『広辞苑』)の意味ですが、現在では、生後まもなく死んだ子や死産した胎児の意味で、特に、「たたり」などという時には、後者の、流産や堕胎によって死産した胎児を指します。

 「たたり」とは、本来、神霊の至現を意味しましたが、今日では、主として神の制裁や懲罰の意味につかったり、超自然的なものや何かの霊によって災禍を受ける意味に使用されています。なかでも、殺されたり、事故や災害によって死亡した者などの霊はたたりやすい霊としたり、この世に恨みや未練を残して死んだ霊や、祀り手のいない霊もよくたたる霊だといわれます。

 そして「たたり」を解消する方法として、「たたり」をなした神や霊を祀ったり、お祓いをすることが多いようです。水子供養というとき、供養は祀ることをいっているようのでしょう。

 次に「供養」ということですが、「供養」とは、本来は仏法僧の三宝や、死者の霊などに対して供物をささげることや、慕敬供養・讃嘆供養・礼拝供養というような精神的・宗教的態度をいいます。それが、今日では、私たちに禍をもたらす「たたり」等を除去するための一方法のように受け取られています。

 水子の供養をというとき、水子は殺された霊、この世に恨みや未練を残した霊ということでしょうし、供養はそのたたりをおそれて帳消しにすることなのでしょう。供養の方法にもいろいろあるでしょうが、どのような方法にしても、親の身勝手としかいいようがありません。

 流産されたのですから、堕胎と同じ殺したということではありませんが、やはり流産した原因は親の方にあるのでしょうから、死んだ子どもは被害者でしょう。その被害者が禍いをもたらす、すなわち、「たたり」をなす霊と恐れられる存在にされるのですから、文字通り、水子は踏んだり蹴ったりです。

 さすが、仏教婦人会の会員さんだけあって「たたり」を信じたり、「供養」をするというようなことはなさらないようですが、不安を感じるのはいたしかたないことでしょう。

 わかっていても不安だといわれるところに、あなたも弱い一人の人間、すなわち、凡人でしかないということをしみじみと思います。聞いても聞いても、不安ひとつ取り除くことのできない私たち、わかっていても自分ではどうすることもできない私たち。そんな私たちに、「いつでも、どこでも、どんな時でも、私(阿弥陀如来)がいます」

と喚びかけてくださる声が、「南無阿弥陀仏」です。

 不安を感じるような時にはどうか、親の名(南無阿弥陀仏)をとなえてください。あなたのとなえるお念仏が、「私がいます、私がいます」というあたたかい阿弥陀如来の声となって、あなたをやさしくつつんでくださることでしょう。

 阿弥陀如来のあたたかく、やさしい声につつまれて、流産した子どもさんの分までも力いっぱい生きてください。それが、亡き子を思う、あなたの最高の生き方ではないでしょうか。