23.報恩講はどういう仏事

浄土真宗では、報恩講が一番大切な仏事だと聞きましたが、報恩講とはどういう仏事でしょうか。
 また大谷本廟では龍谷会というそうですが、どうしてですか。

 報恩講は宗祖親鸞聖人のご恩を偲ぶ集まりとして、本山・本廟をはじめ全国津々浦々のお寺、門信徒の家庭で、毎年、つとめられています。

 本山では「御正忌」といい、本廟では「龍谷会」と称し、お寺や門信徒の家庭では「お取越」とか「引上会」と呼ばれています。 

 野に山に 報恩講の あかりかな    前田普羅 

 提灯を手に、お寺に向かう参詣者のあかりが、あちらにもこちらにも見えるということでしょうか。親鸞聖人を慕って足を運ぶ人たちの胸の中のあたたかさが伝わって来るようです。報恩講は、私たち親鸞聖人のみ教えを聞くものにとって、何よりも、身の和らぎ、心あたたまる集まりであります。しかし、それはまた、 

 親鸞忌 身を粉にしても 報ずべし  池田嘉禄 

ということがあります。

 親鸞聖人のご恩を偲ぶとは、ただなつかしく親鸞聖人を思い出すことではありません。親鸞聖人のご苦労は、周りのいろんな事に惑わされて、右往左往する私たちのような弱い人間が、この人生を生ききっていく道を明らかにして下さったものです。親鸞聖人が九十年の生涯をかけて明らかにして下さった念仏の道がそれであります。

 「どんなことがあってもあなたを見捨てることはありません」と、喚び続けて下さる「南無阿弥陀仏」に抱かれ、支えられて生きる人生が、念仏の道であります。

 この念仏の道に遇うことができなかったら、私たちの人生はどうなったでしょう。きっと周りの人の顔色を見て一喜一憂し、日の良し悪しや、墓相・印相等に惑わされてウロウロし、過去のあやまちに涙してしゃがみこみ、未来の不安にオロオロして、立ち上がる元気さえなくして、空しく生命を費やしていたことでしょう。

 また、自らの欲望に負け、自らの怒りに身をこがして、煩悩の底なし沼に足を取られて、もがきながら沈んでいくような人生になったでしょう。

 お念仏は、時にはあたたかく、「どんなことがあってもあなたを見捨てることのない私がここにいるのです。元気を出して、力いっぱい生きてごらん」と喚びかけ、私たちに生きる勇気をあたえ、また時には、厳しく「あなた自身の足元をみなさい」と智慧の目になって、私たちに反省を促してくださいます。

 時には暖かく励まし、時には厳しくいさめてくださるお念仏があって、今の私があり、私たちの人生があるのです。いや、この念仏の道を明らかにして下さった親鸞聖人がいてくださって、今の私があり、私たちの人生があるのです。

 自らの身を思い、自らの人生を味わうとき、親鸞聖人のご恩は、何よりも重いものであります。繰り返しになりますが、文字通り、 

 親鸞忌 身を粉にしても 報ずべし 

ということになります。

 親鸞聖人のひ孫にあたられる本願寺三代目覚如上人は、『報恩講式』を著して、聖人のご恩を三つにわけて賛嘆されています。

 覚如上人は、まずはじめに、私たちが間違いなく真実の世界にまで生ききっていくことの出来る教え、すなわち、真実の宗教である真宗を明らかにしてくださったご恩を賛嘆されるのです。

 幼くして父母に別れ、青蓮院の慈鎮和尚のもとで得度し、比叡山での厳しい修業と習学、さらに法然上人のもとでの真剣な聴聞を通して、念仏の道にいたられた親鸞聖人、また、その後の、念仏を弘めるためのご苦労、すなわち、念仏停止によるご流罪、北国での厳しい生活、東国でのひたむきな伝道、帰洛後のご親切な文書指導があって、真宗が明らかになり、私たちが今、念仏の道を歩むことができるのです。親鸞聖人のご苦労は、すべて、ほかでもない私たちのためでありました。 覚如上人は、このことを 

 他力真宗の興行は即ち今師の知識より起り、専修正行の繁昌は亦遺弟の念仏より成ず、流を酌んで本源を尋ぬるに、偏に是れ祖師(親鸞聖人)の徳なり、須らく仏号を称して師恩を報ずべし。 

と、讃嘆し、よろこばれるのです。

 次に、覚如上人は、阿弥陀如来のご本願のお心を誰よりも正しく受け止め、おすすめくださったのが親鸞聖人でありましたと、そのご恩をたたえられるのです。

 聖人の時代にも、念仏を称える人たちは多くありましたが、阿弥陀如来の本願のお心を正しく受け止めて、念仏をよろこぶ人は少なかったのです。ある人は、自分に都合のいいように理解して念仏を称え、また、ある人は、自らの善根を積むような気持ちで念仏を称えていました。

 親鸞聖人は、念仏は自ら称えるものではあるが、それはそのまま、阿弥陀如来の「どんなことがあっても、あなたを見捨てることができない」と誓ってくださったご本願からでた喚び声であることを教えてくださいました。

 念仏が、「どんな時でも、私がいるよ」と、私たちをあたたかくつつみ、励ましてくださる喚び声であるからこそ、念仏申すとき、私たちの身に、この苦難の人生を生きていく力がわいてくるのです。

 覚如上人は、 

 悪時悪世界の今、常没流転の族、若し聖人の勧化を受けたてまつらずんば、争か無上の大利を悟らん。 

と、親鸞聖人のご勧化をよろこばれています。

 最後に、覚如上人は、親鸞聖人がお浄土に還られてからも、いよいよ、聖人の人柄を慕い、み教えを求める人が多くなることを讃嘆して、聖人のご恩を偲ばれるのです。すなわち

 入滅年遙かなりと雖、往詣挙りて未だ絶えず(中略)弘通したまふ所の教行、遺弟之を勧めて、広く片域の群萠を利す。 

と讃嘆されるのです。

 今年も、こうして、親鸞聖人の報恩講に遇えた身の幸せを何よりも大切にしたいものであります。

 また、毎年十月十五・十六日に大谷本廟で勧修されます親鸞聖人のご恩を偲ぶ報恩講を龍谷会といいます。

 大谷本廟は、慶長八(1603)年、十二代准如上人の時に、東山五条坂の現在地に移りました。その後、十三代良如上人の時代に本堂が造営され、十四代寂如上人の時に明著堂が建てられ、昭和四十四年に無量寿堂、本廟会館が落成しました。

 龍谷会は、明著堂が完成した元禄七(1694)年から、本山の御正忌報恩講とは別に、本廟の報恩講として勧修されてきました。

 この龍谷会は、もとは「大谷会」とか、「本廟報恩講」と呼ばれましたが、二十一代明如上人の時より「龍谷会」と称すようになりました。

 現在、大谷本廟では、「龍谷会」の他に、四月には「戦没者追悼法要」が盛大に勧修されますし、年間を通して研修に、納骨に、研修生や参拝者の絶えることはありません。