19. お念仏で生きるとは

「南無阿弥陀仏」を称えると元気が出るという人がいますが、浄土真宗とはそういう教えですか、教えて下さい。

 自らの生命を大切に、力いっぱい、自らの人生を生きたいというのが、私たちの願いです。自らを粗末にして、ダラダラと一生を過ごしたいという人など、この世に一人もいないと思います。

 ところが、現実はどうでしょうか、一人一人が、本当に自らの生命を大切に、力いっぱい自らの人生を生きているかと言いますと、どうもそうではないようです。どちらかと言いますと、自らの生命を粗末にし、いつの間にか年齢だけを重ねているというようなことになっているのではないでしょうか。

 あれもしたい、これもしなければとおもいながら、やればやれることさえも充分にしないで、毎日を過ごしているのが私たちです。どうして、こんなことになってしまうのでしょうか。 

 まず、考えられることは、自らの力のたりなさということです。次に、人生の確かなささえ、本当の拠りどころを持たないと言うことです。

 自らに、どのような障害にあっても、しなければならないことはするという確かな拠りどころがなければ、自らの力を出し切ることは出来ません。ですから、力いっぱい、自らの生命を生きたいと願うものにとっては、「確かな拠りどころ」にであうことが、何より大切なことです。

 では、私の人生を支えて下さる確かなよりどころが、どこにあるのでしょうか。 お釈迦さまは、「法」こそが、私の人生を支えてくださる確かな拠りどころであることを覚られました。

 浄土真宗をお聞きくださった親鸞様は、「法」は、「どんなことがあってもあなたを見捨てることのない私がいます」という「南無阿弥陀仏」の喚び声となって、私たちひとり一人に届けられていることを明らかにしてくださいました。

「どんなことがあっても私がいます」と、喚びつづけてくださる「南無阿弥陀仏」を人生の支えとし、拠りどころとして力いっぱい生きる道が、浄土真宗です。