百八つの言葉(三) 著作 藤田 徹文

 

七、意志

 意志という言葉には

@    こころざし。考え。

A    物事を成し遂げようとする心ぐみ。

B    考え選び決心する心の動き。

C    道徳的な行為の原動力。

等の意味があります。

 普通、意志が強い、弱いという使い方がされますが、こうと決めたことは、誰がなんと言おうと、どのような状態になろうと最後までやり抜く人を意志が強いと言います。

 反対に決めても、すぐに続かなくなる人は意志の弱い人です。

 仏教では、どのような困難に出会っても「上求菩提、下化衆生」の道を歩み続ける人を菩薩と言います。

 自らさとり(菩薩)を求め、多くの人にみ教えを伝え続けていく人です。

 それに対し、さとりを求めることの素晴らしさ、教えを伝えることの喜びを頭では知っていても、身や口はその時その時の状態で、横道にそれてしまう人間を凡夫と言います。

 凡夫とは意志の弱い人間のことです。

八、衣食

 「衣食足りて栄辱をしる」

「衣食足りて礼節を知る」ということわざもありますように、生活が貧しい時には、恥じや外聞を気にする余裕はありませんが、人間、衣食に余裕が出来、生活が豊かになって初めて、恥じや外聞に気を配れるようになるというのです。

 しかし、現代の日本の現状は、どうもこのことわざ通りにはいっていないように思われます。

 衣、すなわち着るものは、年々奇抜になっています。特に若い女性が夏に着ているものを見ますと、見るほうが恥ずかしくなるようなものさえあります。恥を気にするどころか、周りを赤面させて闊歩しています。

 食べるものも足りすぎて粗末にしているのが今日の現状です。

経典には、

 着物や食物を用いるのは享楽のためとは考えない。着物が暑さや寒さを防ぎ、

 羞恥を包むためであり、食物は道を修めるもととなる身体を養うためにある

 と考える。            (『一切漏経』)

と説かれています。

 

九、有無

有無ということについて、親鸞聖人は「南天竺(南インド)に龍樹大士世に出でて、ことごとくよく有無の見を破せん」(『正信偈』)とうたわれています。

 龍樹大士(菩薩)は、南インドに生まれ、大乗仏教の教学の基盤を確立された方で、日本では八宗の祖と仰がれる方です。その龍樹大士の第一の功績は「有無の見」をことごとく破ってくださったことであると、親鸞聖人はうたわれているのです。

 「有無の見」とは、全てのものは、永遠に変わることのないものとして、存在するという「有の見」と、全てのものは、いつかこの世から全て消滅して無に帰すという「無の見」のことです。これらのどちらもが間違っていると教えてくださったのが龍樹大士です。

 全てのものは、その時、その時の因と縁から成立しているので、永遠に変わらないものもなければ、消滅して無くなるものもないというのが、ものの本当のあり方なのです。