言葉を味わう(一)  住職  藤田 徹文

一、愛着

 愛着とは、可愛さに心が引かれて離れられないことで、愛執と同じ意味です。愛は愛着か愛執で執着の一種です。 私たちは執着したものに束縛され身の自由を失います。金に執着して、金に縛られ、金の僕となって一生を終わる人もいます。 地位に執着し、地位に縛られ自由を失って生きる人もいます。 同じように、愛に執着し、愛に縛られて、一生を空しく送る人もいます。 慈悲を説く仏教は愛についてあまり多く説きませんが、経典には、「愛より愛を生じ、愛より憎しみは生ずる。憎より愛は生じ、憎しみより憎しみは生ずる」(『増支部経典二』)と説かれています。親鸞聖人は、自分が一番可愛いという愛も煩悩と看破して、「無明煩悩しげくして、塵数のごとく遍満す。愛憎違順(心に順うものは愛し、心に違うものは憎む)することは、高峰岳山にことならず」(『正像末和讃』)とうたわれています。

 二、相手  

「相手」を辞書で引くと、
     
@    相対する一方にいる人
     
A    物事をいっしょにする一方の方
     
B    勝負などの敵手。
 とあります。 ことわざ辞典を見ますと、「相手かわれど主かわらず」、「相手のない喧嘩はできぬ」とか、「相手見てからの喧嘩声」と言うことわざがあります。 私たちは何をするにも相手あってのことです。いや、私が私として生きているのも、いろいろとお相手をしてくださる人があってのことです。自分ひとりではどうにもなりません。 ですから、相手を大切にする以外に、自分を大切にする道はありません。「情けは人の為ならず」という古いことわざがあります。 最近では、「情けをかけてやると、その人に甘え心がついてダメになるので、情けはその人の為にならない」と解釈する人もいるようですが、相手の為でなく、わが身の為の情けというのが、本当でしょう。

 三、安定

「安の宀は祖霊を祀る寝廟の形、その廟中で行われる儀礼をいう字である」と『字統』にあります。  その儀礼の主人公は女なので、宀の下に女と書くのです。
 さらに『字統』には「新しく嫁してきた婦を、その家廟に入れて廟見の礼を行い、祖霊にその安寧を求める儀礼が安の原義であろう」と記されています。
 定についても『字統』を見ますと「宀と正とに従う」とあります。つまり、祖霊を祀る寝廟で儀礼が正しく行われるという字で「安定・安居の意」とあります。
 このように文字の意味を通して「安定」ということを考えますと、ご先祖を大切にするということなしには、安定はないのです。 それも、その家に生まれたものだけが、大切にするのでなく、お嫁さんをはじめ、他家から入ってきた人がその家のご先祖を大切にして、家も、その家に住む人も真に安定するのでしょう。 ご先祖を大切にすることは、常にご先祖の心に聞いていくということです。