世の流れを変えよう

今の世の中、「われこそが正義」と、自分の正義を主張し、考え方の違う相手を悪と決めつけ、お互いに非難しあっていることが、あまりにも多い。

 こんな世のありさまを見ていると、仏教でいう末法の世を五つの濁りに満ち満ちた時代であると教えて下さいました。

 五つの濁りとは

一、  劫濁

二、 見濁

三、  煩悩濁

四、 衆生濁

五、  命濁

     である。

一、     劫濁とは、世の中の濁りで、環境汚染などの公害や、民族紛争による戦争やテロの
   多発する世のあり方。自分の都合、自国の都合を全面に出して正義を主張する結果も
 たらされる、恐ろしい世のあり方が劫濁。

二、     見濁とは、ものの見方、考え方(見解)がますます自分中心になり周りの人や、共
  に生きる「いのち」がまるで視界にないような傍若無人な人間の相。

三、   煩悩濁とは、煩悩に歯止めがきかなくなった状態。煩悩とは結果として自身を煩わ
 し、自分の心を悩ます衝動で、始から濁っているのだが、その濁りようがないという
 状態になっているのが、今の世のあり様。

 昔の人も自分の思うようにならないと腹を立てたでしょうが、安易に他の人の
「いのち」を奪うところまでは行かなかったと思う。今、私たちの耳目に入ってくる
 ニュースに、ちょっとしたことで他の人の「いのち」をあやめたというものがなん
 と多いことか。煩悩に歯止めがきかないこの世の恐ろしさに身震いする。

  四、 衆生濁とは、人間の器量がだんだん小さく劣ってきているということ。
   自分のことしか考えられない器は小さな劣った器。

五、  命濁とは、「いのち」がだんだん短くなるということ。

    表面的には確かに寿命は延びているが、自分の「いのち」を自分の「いのち」とし
て生きる時間はだんだんと短くなっている。他の人のために何かすると「その人の
ために時間を取られた」という人の多いことか。

  子供に夫に妻に時間を取られたという考えはまともでないと思う。

   今の世の流れを、何とか断ち切らないとますます住みにくく、恐ろしい世の中に
なるのではないか。

今を生きる一人ひとりが、自らの生き方を根本的に見直さないと、この世は滅びの一路を辿る
しかないのではと思う。

 お釈迦さまは、私たちは一人で生きるのではなく、他の多くの「いのち」に生かされ生きているのだから、他の「いのち」を大切にすることがなかったら、自らの幸せもないと教えて下さいました。今一度、お釈迦さまの教えに耳を傾け、一人ひとりが、自らの生き方を見直すことこそ、何よりも急がなければならないのではないか。今年こそ世の流れを変える年にしましょう。








著作  藤田 徹文