京都に帰られた親鸞聖人のもとに、手紙や人づてに、関東の様子が伝わってきています。いい話も多かったでしょうが、悲しい話題も多く届けられました。
その中には信頼している門弟が、間違ったことを説いているという、やりきれない便りもありました。それも自分にかわって関東に行った長子善鸞さまが、からんでの便りです。そのような便りが、晩年の親鸞聖人をどれほど苦しめ、悲しませたことでしょう。
その便りの一つが、信願坊に関する便りです。お手紙の中に、聖人のとまどいが手にとるようにわかります。「信願坊」が申すやうかえすがえす不便のことなり」といい、「信願坊のことをよしあしと申すべきにあらず」と述べ、そして、
信願坊が申すやうは「凡夫の習なれば悪しきこと本なれば」
とて思うまじき事を好み、身にもすさまじきことをし、
口にもいふまじことを申すべきやうに申され候こそ信願坊
が申様とは心得ず候。「往生に障礙なければとて僻事を
好むべし」とは申したること候はず、かへすがへす心得ず
覚え候
と書き送っておられるのです。
信願坊が「悪いことしかできないのが凡夫だから、思ってはいけないことを思うのが凡夫、してはいけないことをするのが凡夫、いってはいけないことをいうのが凡夫、そんな凡夫をすくってくださる阿弥陀さまがいてくださるのだから、何をし、何をいおうが、そんなことは全く問題にならない。好きなことを考え、好きなことをし、好きなことをいったらいい」と説いているという知らせが、京都の親鸞聖人に届けられたのでしょう。
親鸞聖人は、まさかと思われたでしょう。それが「信願坊が申様とは、心得ず候」のお言葉です。そして、はっきりと、「阿弥陀如来のおすくいの障害にはならないからといって、好き勝手なことをせよ」と一度も話した覚えがないと、いいきられるのです。