◇ 悪人正機とは

 悪人正機―悪人こそ阿弥陀如来のおすくいのめあてであるという教えが、親鸞聖人のお開きくださった浄土真宗でありますが、悪人とは悪いことをする人ということではありません。

 悪人とは他人のよろこび、自らもよろこんで生きられる善の道を歩もうと心がけ、努力しながらんも、結果としては常に反対にすすんでいる自らを悲しんで生きる人間のことです。

 すなわち、善を志向すればするほど、また、み教えを聞けば聞くほど、自らが悪人でしかなかったと悲しんで生きている人間を悪人というのです。

 ところが、どこでどう聞き間違いをしたのか、

すまじきことをも振舞

言うまじきことをも言ひ

思ふまじきおとをも思ふ (末燈鈔)

のが悪人と、そこに胡坐をかいて、こんな私だからこそおすくいくださる阿弥陀如来とよろこんでいる人がいます。

 横着者が自分の横着に合わせて聞くからこうなるのでしょう。確かに「すまじきことをも振舞ひ、言うまじきことをも言ひ、思ふまじきことをも思ふ」私たちのことを案じて、「どんなことがあってもほっとけない」と呼びかけてくださる阿弥陀如来ですが、それでいいということでは決してありません。親鸞聖人は、

 念仏させたまふ人々のこと、「弥陀の御誓は煩悩具足の人の爲なり」と信ぜられふはめでたきやうなり、ただし悪き者のためなりとて殊更に假事を心にも思ひ身にも口にも申すべしとは浄土宗は申すことならねば、人々にも語ること候はず

 

お教えてくださいました。

 悪人正機とは、悪いことをする人を好んですくうという教えではなく、常にみ教えに照らされて、自らの悪を悲しんで生きているものを見捨てることはできないという教えなのです。