「どんなことがあっても、あなたを見捨てることはありません」とあたたかくつつんでくださる阿弥陀如来を「いのち」のささえとして、恵まれた「いのち」を力いっぱい生きる念仏者でも、死の縁は無量で、ガンで苦しんで亡くなる人もいるでしょうし、原因のわからない病気にかかってのたうちまわって亡くなる人もいるでしょう。
ところが、念仏者の、そんな亡くなり方に出会った人の中には、「あんなに苦しんで亡くなったのだから、死後もあちこちの世界をのたうちまわっているのではないか」というような疑問を持つ人がいます。親鸞聖人は、
念仏する人の死にやうも、身より病をする
人は往生のやうを申すべからず
といいきられます。すなわち、念仏を、「いのち」のささえとして生きた人が、どれほど苦しみ、のたうちまわって亡くなろうとも、間違いなくお浄土に生まれ、仏に成っておられます。そんなことは、今さらとやかくいうまでもないことです。といいきられているのです。
ところが、そういいきられた親鸞聖人はつづいて、
心より病をする人は天魔ともなり地獄にも
堕つることにて候ふべし、心よりおこる病
と身よりおそる病とは異るべければ、心より
おこりて死ぬる人のことをよくよく御はからひ
候ふべし
といわれるのです。
「心よりおこる病」とは、精神障害のことではありません。自分の心に執着して、「いのち」の本当のよりどころを見失っている病気のことです。阿弥陀如来のお心を受けとることができずに、沈む身をもがきながら、何かにしがみつこうと悪戦苦闘する本願疑惑の状態をいうのです。
そのような状態で「いのち」終れば、必ず地獄に堕ちるといわれるのです。だから、一時も早く、「阿弥陀如来のお心に遇え」とすすめてくださるのです