「子供の頃からこの年まで、かれこれ六十年近くご縁にあってきましたが、まだもう一つはっきりしません」と、うなだれるおじいさんに高松悟峰和上(1856〜1939、広島真宗学寮の創設者)は、しばらくじっと考えた上で、「おじいさん、はっきりしてどうしんさるの」と問い返されました。
「このままでは、私の行き先は真暗です。はっきりして明るうなりとうございます」と、一生懸命答えるおじいさんの言葉を聞いて、またしてもじっと考え込まれ和上が、しばらくたって顔を上げ、「おじいさん、明るうなってどうしんさるの」と、再び問い返されました。
「明るうなって、よろこびのうちに人生を全うしとうございます」のおじいさんの言葉に、またまた「明るうなってどうしんさるの」のお尋ねです。
言葉を失ったおじいさんは、
頭を下げて部屋を出ました。部屋を出て二、三歩行った時、部屋の中から「おじいさん」という高松和上の声がしました。「ヘエ」と答えますと、続いて「おじいさん、そのまま帰ってどうしんさる」の声です。
その声を聞いたとたんにおじいさんのはりつめていた全身の力が抜けてしまいました。這うように部屋の戻ったおじいさんは、すがるような目で和上を見上げて、「一体私にどうせよといわれるのでございますか」と尋ねますと、おじいさんの顔をじっとながめて和上が、「おじいさん、どうして来い、こうして来い、ああなって来い、どうなって来いと言われた阿弥陀さまではなかったんじゃないかの」と淳々と話されました。
その言葉を静に聞いていたおじいさんは、「そうでした」と、頭を下げました。
親鸞聖人は、
弥陀の選択本顔は行者のはからひの候は
なばこそ偏に他力とは申すことにて候へ
と教えてくださいました。