◇ 「般若心経」を読まないわけ

 最近ご門徒の方から「『般若心経』」お仏壇の前で朝夕読誦してもいいですか」というお尋ねをよく受けます。どうして『般若心経』を読誦しようと思われたのですか、と問い返しますと、どこそこの大本山に参った時、「『般若心経』ほど短く、ありがたいお経はないと教えられた」とか、なになに宗の高僧が、「どの宗派でも『般若心経』を読む、『般若心経』を読まない宗派は日本にない」といわれたとか、という答えが返ってきます。

 本音は案外、短いというところにあるのかもしれませんが、表向の返事はそういうことです。私はおかしいと思うのです。浄土真宗の門徒であるといいながら、親鸞聖人の教えによらずに、他宗の方たちの教えを優先しているのです。

 どこか違っています。親鸞聖人は、

 いかなる人申し候、聖道に申すことを悪しざまにききなして浄土宗に申すにぞ候ふらん、さらさらゆめゆめ用ひさせたまふまじく候

 

とご注意くださっています。

 確かに『般若心経』は短くて、内容が深くてありがたい経典ですが、自ら智慧をみがき修行して、さとりを開くための経典なのです。すなわち「我が身をたのみ我が心をたのむ、我が力をはげみ、我がさまざまの善根をたのむ」(一念多念文意)自力聖道門の人たちをめあてに説かれた教典なのです。

 また『般若心経』はどの宗派でも読むと思っておられる人が多いようですが、浄土真宗は、意志の弱い凡夫がすくわれていく念仏の道をあきらかにしてくださった『浄土三部経』以外の経典は読誦しません。

 朝夕のおつとめには、親鸞聖人が『浄土三部経』の中心である『仏説無量寿経』のお心をたたえられた『正信偈』を読誦するのが、蓮如上人以来の伝統であります。