◇ 道を求めるということ

禅宗がひたすら座禅をすすめるのに対して、私たち浄土真宗は、聴聞ひとつをすすめます。しかし、禅宗が座禅の仕方を懇切丁寧に教えるのにくらべ、浄土真宗は、あまり聴聞の仕方をこまかく指導いたしません。ただ注意するといえば、「素直に聞くのが一番です」という程度です。

 聞くということは何でもないことのようですが、本当は、何よりもむつかしいことです。自分の都合のいいように聞くことはできても、話す人の思いをそのまま間違いなく聞くことはなかなかできません。私たちは子供のときには、読む稽古、書く練習、そして成人してからは話す訓練もしますが、聞く稽古だけはしてこなかったのです。

 素直に聞くとは、どのような聞き方なのでしょうか。私は、このことを小さな幼児に学びました。幼児が人の話を黙って三十分も四十分も聞くようなことはありません。「黙って聞け」といっても、わからない言葉や納得のいかないことがあると、一つ一つ「どうして」、「なぜ」とたずねるのが幼児です。私は、これが素直な聞き方だと思うのです。

 わからない言葉がでたきても、納得のいかない話でも、何もかもわかったような顔をして聞く聞き方ほど、素直でない聞き方はないと思います。わからないことは、わからないとたずねるのが素直な聞き方です。

 有名な一休さんに、「曲がった松を真っ直ぐに見る」という話があります。曲がった松を曲がったまんまに見るのが真っ直ぐに見たことになるという話です。

親鸞聖人も、

 

 覚束なきことあらば、今日まで生きて候へばわざともこれへ

 訪ねたまふべし、また便にも仰せたまふべし

 

といわれています。すなわち、わからないこともわからないままにしておくのでなく、わからないことがあれば、会いに来るなり、お手紙で問いただしてくださいといわれるのです。

 浄土真宗において道を求めるとは、問い聞きつづけることです。