以前は、その時その時の歌を、人よりも早くとはいかなくとも、適当に覚え、お酒の席などですすめられれば歌うというようなこともありましたが、今では、どのような歌がはやっているかさえわからなくなってしまいました。はやりすたりの早さについていけなくなりました。
ついていけない私にも問題があるのかもしれませんが、それにしても、なんとはやりすたりの激しい今日でしょうか。いろんなものが、次から次から出ては消えていきます。今日ほど時代の移り変わり、ものの動きの激しい時代はないのではないでしょうか。
こんな時代だからこそ、人は本当に確かなものは何か、世の中が変わっても変わる事のないものは何か、真によりどころとなるものは何かを真剣に求めなければなりません。
時の流れの中で一喜一憂しながら、ただ右往左往して、一生を終るほど悲しいことはありません。時代がどう変わろうと、世の中がどのように変化しようが、変わる事のない確かなよりどころを踏まえて、自らの「いのち」も、自らが力いっぱい生きることが何より大切です。
では、変わる事のない確かなよりどころがどこにあるのでしょうか。親鸞聖人は比叡山での長年の修行、法然上人のもとでの真剣な聴聞を通して、変わる事のない確かなよりどころは、ただ「念仏」であることを明らかにしてくださいました。
人間の心も世の中と共に変わります。この世も時代と共に変わっていきます。
人の心がどう変わろうと、世の中がどう変わろうと、変わる事のない、確かなものは「どんなことがあってもあなたを見捨てることはありません」と呼びつづけてくださる南無阿弥陀仏です。
いろんなものがはやり、ひろがるのもいいことでしょうが、
何事よりは如来のご本願の弘まらせ給ひて候ふ事かへすがへす芽出度く嬉しく
といわれた親鸞聖人のお言葉が身にしみます