◇ 往生願ふしるし

 腹が立てば、たとえ親しい友人であろうが、先生であろうが、親であろうが、悪口の一つもいわずにおれないのが凡夫、こんな凡夫をお救い下さるのが阿弥陀さま、何とありがたい教えと、自分の都合のいいようにみ教えを聞いて、気ままに振舞っている人がいます。

 先生も他力本願の誤用が問題になっていましたが、浄土真宗にご縁のある私たちが、横着の自分に都合のいいようにみ教えを理解し、友人や先生、さらに、親の悪口さえも平気でいい、凡夫だからしかたがないと居直った生き方をしているならば、他力本願の教えが誤用されて当然であります。

 親鸞聖人は

 

 年ごろ念仏して往生願ふしるしには、もと悪しかりしわが心をも思ひかえして友同朋にも懇に心のおはしましあはばこそ世を厭ふしるしにても候はめとこそ覚え候へ、よくよく御心得候ふべし。善知識をおろそかに思ひ師をそしる者をば謗法の者と申すなり、親をそしる者をば五逆の者と申すなり、同座せざれと候ふなり

 

と、厳しい言葉で、念仏よろこぶものの生き方を教えて下さいます。

 今までは気に入らなければ平気で共にみ教えを聞く仲間の悪口さえ、相手かまわずいい、「悪口をいわれる方が悪い」と居直っていた自分のあり方を考え直し、共にひざをならべてみ教えを聞いてくださる人がいるから、私のようなものでも、み教えにあうことができた、私がみ教えを聞く事ができたのは、ひとえに友同朋のおかげとよろこばせて頂くなかに、信心よろこぶものの日暮があるのです。

 いわんや、真実のみ教えをおとりつぎくださる先生をかろんじ馬鹿にするようなことがあれば、それはみ教えそのものを謗るに等しいことであります。

 また、仏法に遇うことの出来たこの身を生み育ててくださった親を謗るものがあるならば、最もおそろしい罪をつくっていることになる。と親鸞聖人はご注意下さるのです。