◇ 煩悩のままに生きればいいのか
毎日の生活が順調にいけば、いくらでも欲が出てきます。反対に、人生が思うようにならないと腹が立ちます。これは、私たちの自然な感情です。しかし、これがいくら自然な感情だからといっても、欲と瞋の繰り返しだけで人生を終るならば、あまりにも悲しいことです。
お念仏の教えを聞きながら、「欲もおほくいか瞋り腹立ちそねみねたむ心多くなく閧ネくして臨終の一念にいたるまでとどまらずきえずたえ」ない煩悩具足の凡夫だからと、欲と瞋りの生活を繰り返し、こんな私をおすくいと、自分に都合のいいように、念仏の教えを受け取っていますが、もってのほかであります。
親鸞聖人は
煩悩具足の身なればとて心にまかせて身にも為まじきことをも許し、
口にも言ふまじきことを許し、意にも思ふまじき事をも許して、
いかにも心のままにてあるべしと申しあうて候あらんこそ
返す返す不便におぼえ候
とお手紙に書かれています。
すなわち、自分の心の動きにまかせて、してはならないことをし、
言ってはならないことを言い、思ってはならないことを思って、それが
自然な感情であり、自分に忠実な生き方、自分を大切にする生き方だと思っている人がいるなら、本当に悲しいことであると、親鸞聖人はご注意くださったのです。
思うようになればどこどこまでも欲望をふくらませ、思うようにならないと、周りの人に瞋りをぶちまけて生きている自分の姿に気付かされたら、少しでもそんな自分から抜け出していこうと努力することこそ、本当に自分を大切にする生き方です。
「やれるだけやってごらん。あとは私が引き受けてやろう」と、やさしく声をかけてくださる阿弥陀如来にはげまされ、自らを改めていこうと努力するのが念仏をよろこぶものの生き方です。