◇ 浄土に生まれるということについて
「お浄土に生まれたら、この世でしたような苦労はしなくていいのでしょうね」とか、「極楽とは、いいことずくめのところでしょうね。そんな良いことずくめのところでゆっくりさせて頂くのが極楽の生活でしょうね」という人がいます。
確かに、温泉につかって一杯飲んで「この世の極楽」というようなことを思っている人が多いようですから、このような考え方はやむを得ないかもしれません。
親鸞聖人のお弟子の慶信房は
此度此身の終り候はんとき、真実信心の行者の心、
報土に至り候ひなば、寿命無量を体として、
光明無量の徳用離れたまはざれば、如来の
心光に一味なり
と浄土に生まれるということは、どうなることかをあきらかにしてくださいました。
この世において、阿弥陀如来のお心に出会い、阿弥陀如来にこの身をまかせて、力いっぱい生き抜いた信心の人は、必ず浄土に生まれ、永遠の生命を頂くのです。そして、また、阿弥陀如来と同じ、何ものにもさまたげられることなく人々を救うことのできる力を頂くのです。
お浄土に生まれるということはこの世で苦労したのだから、しばらく骨休みし、楽をさせて頂くところに生まれると言うようなことではないのです。
この世においては、もっともっと、あの人の力になってやりたい。何とかあの人を助けてやりたいと思っても、いつも中途半端に終ってしまい、時には、かえって本人のためにならないというようなことさえあります。
お浄土に生まれるということは、この世においてまっとう出来なかった、このような思いを実現するための力を頂くためであります。
お浄土に生まれさせて頂いたものは阿弥陀如来と同じように、この世で苦悩する人を本当に助けるためのはたらきをさせて頂くのです。
私たちの「やさしさ」が本当に実現される世界がお浄土なのです。