◇ 釈尊と阿弥陀如来について

 「浄土真宗では、阿弥陀如来のことばかりいって、仏教をお開き下さったお釈迦さまをおまつりしないのはどういうことですか。浄土真宗では、お釈迦さまは関係ないのですか」というような質問をされる人に時々あいます。

 確かに、浄土真宗のお話は阿弥陀如来が中心で、お釈迦さまのことはあまり出てこないようですし、又、浄土真宗のお寺は中央に阿弥陀如来、右に親鸞聖人、左に蓮如上人のお姿が安置され、お釈迦さまのお姿を見ることは出来ません。

 しかし、だからと言って、浄土真宗では、お釈迦さまを蔑ろにしているわけではありませんし、また、親鸞聖人がお釈迦さまを無視された訳でもありません。無視されるどころか

 

 釈迦如来・弥陀仏吾等が慈悲の父母

 

と、釈迦如来とともに、お釈迦さまを慕われたのが親鸞聖人であります。

 親鸞聖人にとって、阿弥陀如来は、大きな胸を開き、手を差し伸べて、あたたかく抱き取ってくださる母のような存在であり、お釈迦さまは、帰る世界、寄りかかる世界、すなわち阿弥陀如来の世界を指し示し下さる父のような存在であったのです。

 私たちにもそれぞれ、この身をこの世に出して下さった。両親がありますが、この身を間違いなくお浄土に生まれさせ下さるのはお釈迦さまであり、阿弥陀如来であります。私をこの世に生んでくださった人が父母でありますように、私をお浄土に生まれさせて下さるお釈迦さま、阿弥陀如来もやはり、私の父母であります。

 静かに、私たちの身を案じてお勧めくださるお釈迦さまの教えと、やさしく

私たちの苦悩を見抜いてよび続けてくださる阿弥陀如来の声に導かれて、私たちは帰る世界、寄りかかる世界、すなわち阿弥陀如来の世界を知り、お浄土に向かってただ一筋に生き抜かせていただく人生を恵まれるのです。