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三原駅

〒722-1412 広島県三原市久井町和草970番地
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光徳寺 沿革
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 神辺の城主山名式部少輔美政の次男善宗は戦の明け暮れに生命を失っていく戦国の世に無常を感じ、明応五年に現在の地に草庵を結び、出家して好晴と名のりました。   
そして、大永六年四月九日光徳寺を創立し、天文十年十月十五日に往生の素懐を遂げました。 その後、二代周応(永禄四年十月十四日寂)、三代修円(天正元年正月八日寂)、四代順江(慶長十九年七月三日寂)と受け継がれましたが、五代宗順(延宝三年五月二十九日寂)が継職するまで、しばらく無住の時代がありました。

 さらに六代宗休(元禄十五年十二月十六日寂)、七代閑嶺(亨保六年十一月十一日寂)、八代貞運(延亨四年七月二十日寂)、九代際哲(寛政九年一月八日寂)、十代貞観(文政四年七月十日寂)、十一代恵順(天保五年三月五日寂)と継職されますが、無住の時代を迎えます。この二度にわたる無住の時代にかなりの門徒が寺を離れました。

 その後、十二代徹際(明治二十三年六月十六日寂)、十三代徹照(大正十五年五月二十八日寂)と受け継がれ、十四代導信(昭和二十七年正月九日寂)在職中の昭和十二年の親鸞聖人ご誕生の日(五月二十一日)に、現在の本堂の上棟式をし、昭和十三年十二月十四日に入仏式が執行されました。 さらに、昭和二十五年には現在の客殿が新築されました。

 十五代正義は戦前満州開教に従事しておりましたが、戦後、高岡教区川上組本福寺より入寺し、境内の整備に力を入れました。住職継職の記念事業として昭和三十五年に庫裡の新築、昭和四十四年七月には鐘楼を落成しました。


 十六代徹文は長く本願寺の要職にありましたが、帰寺しご法座を中心に門信徒の教化に艇身。この間、平成二年九月六日には、光徳寺開創以来はじめて、本願寺門主(第二十四代即如宗主)を迎え御調西組御巡教の諸行事を挙行しました。
                                

                                                                                                                   第十六世 釈徹文記

   
  ◇光徳寺歴代住職

     ◇光徳寺略史